流されて大阪湾

人生、いざとなったら西成やで(^^) 

稲垣浩氏と対立する?釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)のアジト・・もとい事務所の場所。無料シェルターや特別清掃事業を実現した実績ある組織だよ。

 

炊き出し活動で有名な稲垣浩氏が率いる釜ヶ崎地域合同労働組合。そして、釜ヶ崎日雇労働組合

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阪神には巨人、北斗には南斗、アムロにはシャア、サンダにはガイラと世の中にはライバル関係が付き物ですが、この2つの労働組合もまた西成において熾烈な戦いを繰り広げるライバル関係にあります?

釜ヶ崎地域合同労働組合は、そのボロ過ぎる建物の佇まいそのもので資本主義に対するレジストを仕掛けてくる釜ヶ崎解放会館を拠点にする組織。

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対する、釜ヶ崎日雇労働組合の拠点はこちら。

嫌に厳重にフェンスで囲まれた敷地に平屋建ての簡素な建物が建っています。

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・・・・いや、何と言うか・・私は政治には疎いのですが、こういう幟を立てるのは全国の左翼系組織に共通の慣習なのでしょうか?

テレビで観る沖縄の抗議デモや国会前の安倍首相批判デモでも、こんな感じの幟が立っていたような。

ちなみに入り口のフェンスに張ってある張り紙の石川一雄って誰やねん?っていう話ですが、たぶん狭山事件石川一雄氏のことを言っているのだと思います。

狭山事件、50年以上前の事件なんですが。左翼界隈ではいまだにホットな話題だったりするのでしょうか?

釜ヶ崎日雇労働組合の拠点は、以前に紹介したビジネスホテル加賀の程近く、狭い路地に続く曲がり角のその先に存在します。

外国人バックパッカーや普通の日本人ビジネスマンや旅行客が宿泊するホテルのすぐそばに、こんなイカした解放空間があるんだから、やっぱり西成は最高だぜーーー(^^)

さて、この釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)と釜ヶ崎地域合同労働組合(釜合労)との間には複雑な因縁関係があります。

まず、釜日労が1976年に稲垣浩氏によって結成されます。初代の代表は稲垣氏。

結成から2年後の1978年にドイツ人神父が所有していた上記のボロ過ぎる鉄骨ビルを買い取って釜ヶ崎解放会館を設立。建物内に組合事務所を設けます。

その後、1980年に稲垣氏は釜日労を除名されてしまいます。除名の理由については、稲垣氏に批判的な人間の説明によると、稲垣氏が解放会館の建物の所有名義を勝手に自分の妻名義に書き換える不正行為を行ったためであるとされています。

除名された稲垣氏は1981年、新たに釜ヶ崎地域合同労働組合(釜合労)を設立しました。

これによって、釜日労と釜合労の2つの団体が並存する今日の状況が出来上がったわけです。

それで、どうも解せない話なのですが釜ヶ崎解放会館の所有権を持つ稲垣氏と喧嘩別れしたはずの釜日労は、その後も何故か20年近くの間、釜ヶ崎解放会館内に事務所を置き続けています。

つまり、その間の期間は釜日労と釜合労という敵対的な関係?にある2つの組織が一つの建物のなかで共存していたという、良くわからない状況があったわけです。

釜日労が釜ヶ崎解放会館を出て上記にある現在のフェンスに囲まれた小屋に移転したのは2002年辺りの出来事らしいです。

さて、この2つの労働組合。現在も、それぞれ活動を続けていて、なんというか上手い具合に活動分野の住み分けが出来ている感じです。

稲垣氏率いる釜合労は、三角公園、四角公園で行われてる炊き出し活動を主催。つまり、行政の力を借りず自分達でドヤのオッチャン達の手助けをしようというスタンスです。

それに対して、釜日労のほうは大阪市役所前でデモを行うなど、役所のほうにガンガン圧力をかけて行政を動かしていくことによって、オッチャン達を手助けしていくスタンスな感じです。

釜日労と、釜日労の関連団体であるNPO法人釜ヶ崎支援機構の活動によって実現された行政側の施策として、仕事にあぶれて困窮している高齢者にあいりん地区の道路清掃をしてもらう特別清掃事業や、ジョーブログでも紹介されている無料宿泊シェルターの設立なんかがあります。

そんなわけで、この2つの労働組合。実は稲垣氏は高級自動車を乗り回しているとか、釜日労とNPO法人釜ヶ崎支援機構は行政側から事業を請け負うことによって利益を得ているとか、芳しくない噂も聞いたりしますが、それでも実際に炊き出し活動や支援事業がオッサン達の助けになっていることは事実。

ただ、双方とも拠点となる建物の外観は、もうチョイ綺麗にしたほうがよいとおもうなあ(^